思うところあり、御幸のロシア兵墓地を訪ねる。明治の日本の国運を左右する日露戦争のロシア兵捕虜を、当時人口三万人の松山が約四千人も引き受け、博愛精神で接した史実あり。郷土の先人に頭が下がる。墓地は綺麗に清掃され、98柱が眠る全ての石碑の前には、一輪のカーネーションが活けられていた。いつ終わるとも知れぬロシアのウクライナ侵攻に怒りを覚える。